バブル?

円安が、どんどん進む。
テレビには、株が上がり、嬉しそうな人たちの声。
投資セミナーには、白髪の高齢者がいっぱい。
世の中、好景気に沸いているのに、
なぜか、スッキリしない。
あたかも、最近の空模様を映すかのように。

スカッとした青空を、なかなか拝めない。
黄砂とか、PM2.5 とか、
なにやら得体の知れない物質で、
どんよりと覆われたような、昨今の景気動向だ。


はたして、どれくらいの人が、
これで本当に日本経済が良くなると、
考えているのだろう。


職場には、失業した人びとが、
引きも切らず、訪れる。
就職はしたものの、
働ける日が少なくて、
月々の収入が、生活するのにやっととか、
働きながらも、別の仕事をさがしているとか。


相変わらずの求人内容に、
相談者と交わす会話も、
どうしても、湿りがちだ。
それでも、なんとか希望をと、意気込むのだが。


年度が改まり、張り切っていた矢先、
嘔吐性下痢とかで、あっさり撃沈。
食事もままならず、
低迷する中で、
忙しく、業務をこなしてきた。


日銀の一声で、円安と株高。
なにが、どうなる。
わからないまま、
テレビを見ていた。


景気のいい話の後からは、
電気代値上げに悲鳴を上げる、中小企業のレポート。
この矛盾が、どう収束するのか、
わからない。


幾度となく、時代は変わっているとか、
価値観が多様化し、生き方は変わったと、
言われてきた割には、
テレビや新聞で報道される中身は、
10年あるいは20年前と、
まったくといって良いほど、
変わっていないように感じる。


いったい、われわれは、何のために生きるのか。
「働く」とは、どういう事なのか。
いま、目の前で起こっている円安や株高。
これと、「働く」は、どう関係するのか。
むしろ、「働く」ことなく、蓄えられた「お金」のみが、
ひとり舞台で、ひとり踊りをしているような。
それを、ほとんどの「働く」人びとは、
興ざめた思いで、傍観している。
そういう光景にみえて仕方がない。


文字通り、
「色即是空」の光景だ。
「お金」自体も、実態はない。

すべてがデジタル化された数字を元に、
売った、買ったの勝負の世界。
まさに、
打った、勝ったの結果で、
一喜一憂しているようで。


「働く」ことの意味、
さらには、「生きる」ことの意味を、
もっと、もっと、考えなければ。
そして、自分自身の答えを持たなければ、
生きていけない時代になったのではないか。
そういう想いを、強烈に感じている。


人への問いかけではなく、
自分自身への問いかけとして、
待ったなしの状況にきている。
いまのままでいいのか、
いまの生き方で、本当にいいのか。
いまの職場も、今年度が最後との通達。
バブルが弾けるまえに、
真剣に、自分の立ち位置を確認し、
これからの進む道を考えたいと。


文字通り、待ったなし、だ。