台北なう


かれこれ、40年以上前に、この地を訪れた。
暗く、閉ざされた空気がいっぱいで、
とても、住みたいとは思わなかった。
約30年前には、1年ほど滞在。
住み続けると、日本に戻れない、
そういう思いで、帰国した。


その後、4、5回ほど、訪問。
今回は、ある程度腰を落ち着けての滞在だ。
人も、街も、ほとんどが変わった。
その中で、変わらないものを、求めながらの1週間。
少しまとめてみたい。


まずは、ルールを守る人びとが増加したのに、驚いた。
交通ルール、携帯電話の使い方、
公共でのゴミの少なさ。
歩いていても、体が触れると、
「対不起(すみません)」との声が。


どこの国でも、人はそれぞれなので、
あくまでも、自分が受けた印象だが、
人びとの意識の高揚を、確かに感じることができる。
経済的には、日本ほどではないものの、
日本で感じる、未来への絶望感はない。
むしろ、いまの状況をいかに打破して、
未来へつなげるか。
そういった若者のエネルギーを感じる。


街並は整備され、
屋台がいっぱい的な風景は少なくなった。
それでも、交通道路の整備が進み、
高速道路へのアクセスや、
交通マナーの徹底など、全体としては好印象だ。
さらに、ちょっと裏道へ入ると、
そこには、昔ながらの屋台も顕在。
夜店を楽しむ人びとで、ごった返している。


日本との違い。
いつも、考える。
なにが、どう異なっているのか。
若者の気持ちの、何が、どう違うのか。
その点が、一番気になる。


内向きで、行動範囲が狭まり、
絶望感だけで生きなければならないような社会。
年金などの社会保障制度や、
農家、企業などが期待する国からの支援などなど。
おおよそ個人ではどうにもならない問題を、
なんとか国に期待しながら、生きている人びと。


それに対し、始めから国など当てにせず、
自らの力で、自らの道を開こうと、
あらゆる可能性を考えながら、
たくましく生きている人びと。
自分の人生は、自分で切り開く的な発想。



あくまでも、主観的な見方だ。
日本にも、国を超えて、
積極的に自らの道を切り開いている人はいる。
台湾でも、国や人の支援をあてにしながら、
生きている人もいるだろう。


それでも、この国の、自らの道を、
自らの努力で切り開こうとする生き方は、
日本の若者は(もちろん、それ以外の人にも)、
大いに学ぶところがあると思う。



今の状況を、どう捉えるか。
いまは、今だ。
それに対し、異なるのは、
その「今」を、どう考えるのか。
それにより、これからが決まる。
とすれば、一個人としての人生を、
どのように考え、歩めば良いのか。
国を頼りに生きていくのか、
自分を頼りに生きていくのか。
それぞれの40年近くを振り返ると、
その答えは、自明のように思えてくるのだが。