こころ
ニールさんの本から触発され、フォーカシング法で瞑想。 焦点を決め、それに近づきながら、集中する方法。 「無」の境地を極めるため、雑念を無くすのではない。 逆に、気になるものへ近づき、フォーカスし、 最終的に究極へ至る試み。 レンズで覗くように、…
明け方、「定義」という言葉があった。 定義とは、「○○ということ」を規定すること。 この定義にしたがって、考え、行動している。 その定義にしたがい、意味をみつけ、 結果に喜び、悲しんでいる。 物事の前提として、自分自身があるモノを定義づけ、 意味…
「見る」というけれど、 人は自分が見たいものしか見ていない。 見る、観る、看る、視る、診る、覧る、 いくつかの漢字が変換で出る。 止観と言う言葉もある。 観るのを止めるということ。 見えるとは、どういう状態なのだろう。 見ている、見ていた、という…
「いや」は便利な言葉だ。 理由なく、「いや」なものは「いや」で許される。 「何故」が、必要のない言葉。 それだけ直感的というか、感覚的な言葉だ。 「いや」の反対はなんだろう。 「すき」は「きらい」の反対語。 「いや」には「きらい」に近い意味もあ…
昔、好きなことをしていては食べていけない、といわれていた。 絵を描いていても生活できない、英語が話せても生活していけない。 そういう事情で電気工学部へ進学した。いや、進学させられたということだ。 好きなことをしていては、生活できない。 これは…
ひとは楽しいことにお金を払う(仮説)。 ひとにより内容は異なるが、ひとがお金を出すのは、 その代価によって、嬉しくなったり、 楽しくなったりすることができるから。 善悪とかは個人の価値観の問題。 そのひとにとって、心地いいか否かで、 お金を出す…
BeingとDoingの違いだ。 「在る」ことと「する」ことの違い。 どう在るかを考える前に、何をするかを考えている。 何もしないと不安になる。そこで、何かをする。 どう在るかではなく、何をするか。 そして何をしたかで結果を求める。 どう「在る」かで、何…
ちょっと気合いを入れて書き込みすぎたようだ。 本来は、日頃感じている想いや考えを記すのが目的だ。 過去のメモなどをひっくり返していたら、 自分でも意外な内容に出会ったりして、 先の数日間は、かなり時間を使って書き込んだ。 何度も読み返しながら、…
長い間、先生と呼ばれながら、 意識の中で教師という自覚はなかった。 あくまでも訓練担当の講師というような意識だ。 教師と職員そして講師といった位置づけで、右往左往していた。 教えるのではなく、学ばせるという視点で20年近く過ごした。 教育が「教え…
無ということは、何もないということではない。 ニュートラルということだ。 S極とN極の磁石のその中間点ということ。 それは存在するが、特定できない。 「有る」けれども「無い」ということだ。 プラスとマイナスも同様だ。プラスとマイナスが調和したとき…
目標を立てる。 その目標に向かって努力する。 手段ではなく、目的が、目標達成がすべてだ、と考える。 結果が出なければ意味がない、とする考え。 これに対し、プロセスが重要だ、という考え。 そこに至るプロセスの中で、人は学び、成長する。 ひとが人に…
いつごろからだろう。 自分の感覚より、人の意見や検査結果などを信じるようになったのは。 食べ物を数値化し、一日の行動も数値化。 さらに、自分自身の体重から、体脂肪率といったものまで。 血圧、血糖値... あげれば切りがない。 そうした数値を見ながら…
死とは、どういうことだろう。 自分自身の言葉として納得したい。 死は、自然の営みの中で訪れる。 善悪の対象ではない。 死そのものに、悪という概念はないはずだ。 なぜ、死を恐れ、言葉にすることを忌むのだろう。 母が死んだとき、母の遺骨を抱きながら…
豚インフルエンザが拡がっている。 「冷静に行動してください」という報道が、人びとを不安にする。 マスコミ報道を事実として行動すべきなのだろうが、 どこまで信じ、どのような行動を取るべきか。 しっかり情報を集めて判断すべきだろうが、 豚さん問題だ…